あの日の、君。はじまり。
ゲーム、アニメ、音楽、コンピュータ等に興味があった弟は、
高校卒業後、専門学校に行って勉強したいと言った。
その事に、僕たち家族は特に反対する理由はなかった。
むしろ、僕は自身も彼と同じくその方面への興味(趣味)があって(今もある)
そういったところから、彼を応援したいという想いはあった。
まあ、母親は、その方面には疎い人なので
その実よくわかっていなかった部分もあったかとは思うけれど。
ただ、親戚(母親の実家)からは、反対はなかったけれど正直よい反応はなかった。
所謂“古い考え方の人達”ではあったので
ゲームだアニメだといったものにあまりよい反応を示さなかったというのが
理由のひとつ。
ともかく。彼の進路について、
周囲の反対というのはなかったのだけれど、しかし。
当時、悲しくも、我が家には生活の余裕があるとはいえなかった。
それも、自分達の力だけでなく、親戚からの結構な援助を受けながらの生活だった。
それゆえに、彼の話に、正直いい反応はされなかったというのもあったんだろう。
勉学よりも、働いた方がいいのではないか、と。もっともな話だ。
学費の事、都会での生活費、細かい部分だと地元⇔都会の移動費なんかも。
問題も沢山あった。
まあ、けれど彼の決意は固く。
話し合いの末、彼は地元を離れて都会の専門学校へと行く事になった。
新聞奨学生の制度を利用することや、また、親戚からも
(それまでの生活の援助とは別に)多少の援助をしてもらえることになった。
彼が地元を離れることになったあの日。当時の事は、もう
10年以上も前だけれど、今でも鮮明に思い起こせる。
新幹線に乗るために、車にのって駅に向かう彼を。
僕と母と、親戚とで見送った。「頑張ってこいよ」って。
僕だけ。声には出さずに胸のなかでだけ。「僕の分も」と付け足して。
もしかしたら。
この時、動いていたのが彼じゃなくて僕だったかもしれない。
僕が、彼より先に、もし夢の話をしていたとしたら。
多くの人に背中を押してもらい、旅立った彼。
新聞奨学生として頑張りながら、一生懸命勉強したのだろうな。
けれど、残念ながら、望む未来をその手につかむことはできなかった。
僕や母親、支えてくれた親戚からも諭され、
今から7年ほど前に、彼は都会での生活を終えて、地元へと戻ってきた。
そして。地元に戻って半年ほど経った頃。
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